うるう   その後   小林賢太郎

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他の人はどんな感想だったのかな~~とネットでファンサイトを廻ってえらい目にあいました。否定派というか物凄い批判サイトと熱烈肯定ファンサイトにわかれていました。

批判サイトに「まぁまぁ。(あなたの言うこともわかるけどとか何とか、なだめつつ)面白かったし、楽しめましたよ。」と書いたらもう大変。
炎上まで行かないが感想スレが3本になってしまった。

今回の「うるう」は小林さんが「空っぽの肉袋」になっていて、役者として化けたなぁと思ったのに、「小林賢太郎は何をやっても小林賢太郎でしかない」とか「これは失敗作だ」。まぁこの方たちにとってはこれまでのすべての作品は「失敗作」らしいんですが。
わからないのはこの方々が何度も劇場に行って観ていること。地方にまで遠征して。
私ならあぁよくないなと思った役者の芝居はまぁ3,4年は観ない。大化けすることもあるから2度と行かないとまでは言わないけど、まぁ行かない。
なのにこのサイトの人は批判と言うより非難かなってくらいこき下ろしつつ、ほとんど全てのコバケンの芝居を見に行っている。それも同じ舞台を何度も。
どうもニュートラルに客観視した話は通じそうにない方が多く、つい返事を書くと余計激昂されてしまい・・・うぅ撤退、退散。
わけが分らない。

愛かな。愛なのかしら。愛では私はお手上げです。



コバケン刺されないといいが。



片や熱烈肯定ファンサイトは・・・ここまでやるか!行ける公演は全て行ってますね。マチソワという言葉もここで知りました(マチネとソワレ、昼公演と夜公演を続けて見ること)チケットが取れないわけだ。

その世界その空間にずっと浸っていたいのか、小林賢太郎が好きなのか。
まぁ恋する乙女では仕方がないが

「あの銀髪の寂しがり屋に逢いに行かなくちゃ」とか言われると、申し訳ないが引く。もう絶賛の嵐で、私ももちろんいい舞台だったと思うので賛同するのだがとてもノリについていけない。

「うるう」を中心に世界が回っている。社会人でどうしてここまで出来るんだろう。社会生活は大丈夫かな。
私はいくら良い舞台でもいっぺん観たら半年はあけたい方なのでここまで同じ舞台を続けて観る人の気持ちがわからん。
そういえばミクシにも「小林賢太郎の才能に脱帽」というコミュがある。「賢太郎さんに会いに行こう」というトビもある。
ちょっと恥ずかしいというか、「いやぁん」な感じ。ネーミングは普通にしといてくれないかな。好きなのは分かったから。
「小林賢太郎」コミュでいいし、「舞台に行こう」トビでいいじゃん。


「4年に一度」と「余りの一」の関連がわからないと嘆いて、わかるまで観るという人がいたので、

【説明が多すぎるから「人よりゆっくりと年をとる」「うるう年の2月29日生まれ」くらいで十分想像が付くので、4年に1歳年をとるとか父親も育ち方も切って、「余りの一」も『 THE SPOT 』のうるうびとくらいの扱いで、どうして孤独なのかを説明する必要はないんじゃないか。観客が想像する余地を残して、ヨイチは拗ねてて卑屈で僕はこんなに孤独なんだ!誰かのせいだとチャイルデッシュに喚く「人ではないなにか」でいいんじゃないか】と書いたら、またえらいことに。

小林賢太郎さんは全て計算してちょっとした言葉も伏線で意味がわからないのは・・・・・えーーーと叱られました。

「うるう」でコバケンは役者としてよかったけど、台本は詰め込みすぎ、急ぎすぎで、まぁ舞台に立つ人間としてやりたい事をすべて詰め込んだ舞台だったから本人は切る事ができないだろうけど、周りに「切りましょう」と助言する人はいなかったのかな・・・と思ったんだけど、小林さん至上主義っぽいので余計なことを言うとまた叱られそ~なので・・・・撤退、退散。

愛だよね。愛か、愛じゃしょうがないね。お手上げです。


コバケンのファンはこの2つしかないのかね。批判派サイトはもう全身全霊で小林賢太郎が嫌いで、ほら愛の反対は無関心だから、嫌いすぎて無視できない。もう追っかけと化しているのですね。批判派ファンっていうのかな。気の毒に。
このサイトの人たちは全然楽しそうじゃない。批判するために舞台を見てるのかな。好きじゃなきゃ観ないと思うんだけど、あんまり幸せそうじゃないです。

熱烈肯定派はコバケンがやってれば全てOK!ここも全身全霊でのめり込んでいます。大丈夫か、ちょっと落ち着こうよと声を掛けたくなる。リア充への道は遠そうだ。



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